BRAND STORY
誕生物語
(元禄4年)
別子銅山(愛媛県新居浜市)が泉屋(後の住友財閥)によって開坑。
(明治元年)
明治天皇から「智・仁・勇」の三徳を備えた名将楠木正成公を祀(まつ)る湊川神社創祀(そうし)の勅命(ちょくめい)が下される。
(明治7年)
住友初代総理事の広瀬宰平(さいへい)は、別子銅山の近代化だけでなく、地域社会にも新しい産業を興そうと新居浜上原に県内外をも巻込む大掛かりな茶の栽培に着手。当時外貨(明治期の国際通貨は英ポンド)の乏しかった明治政府への一助にと絹織物に並ぶべくお茶の輸出拡大を図る。
旧広瀬邸の北口付近に石垣を築いた上に建てられた巨大な製茶工場。
茶園の管理者が羽織ったと思われる法被。背中の井桁紋に格式の高さが伺える。(広瀬歴史記念館所蔵)
江戸時代の浮世絵で培われた、木版多色刷りの茶壷をデザインした色鮮やかな輸出茶箱用の蘭字ラベル。(当時、アルファベット文字は全て蘭字と呼ばれた)また、画像の最下部にSUMITOMOの文字が見える。
※現在、旧広瀬邸周辺には今も名残りの茶の木々が見え隠れして、往時の繁栄ぶりが偲ばれます。
(明治23年)
さらに、広瀬宰平は日本の歴史上最も私利私欲なき忠義の象徴的人物と自らも崇敬(すうけい)する楠木正成公(大楠公)の銅像を別子銅山開坑200年の記念事業として皇居に建立することを発案。
(明治33年)
東京美術学校(後の東京藝術大学)の高村光雲ら一流芸術家が約10年の歳月をかけて別子銅山産の銅を用いて楠公像を制作。15代住友吉左衛門友純(ともいと)の名で宮内省へ献納。
皇居の楠公像は、台座を含め高さが8mにも及ぶ堂々たる佇まいで、のちに紙幣にも採用されるなど、国内で最も名高い銅像である。
画像の銘板には、住友家15代友純の名で「臣の祖先・友信が伊予・別子山に銅坑を開きしより、子孫・業を継ぐこと二百年、亡兄友忠、深く国恩を感じ、別子銅を用いて楠木正成像を鋳造し、ここに謹んで陛下に献納いたします」と記している。
(昭和54年)
新居浜市一宮町に(株)香月園開業
※場所は、1887年上原に移築するまで久保田にあったと云われる旧々広瀬邸の北側付近に近接
(平成26年)
抹茶スイーツの『抹茶ろふる』や『抹茶モヴレ』新発売。お取り寄せブームに乗り全国的に大ヒットし、2007年の「ズームイン!!SUPER 第一回全国うまいもの博」全30社に選出され出展。
(平成15年)
楽天グローバル・マーケットの開始で初めて世界販売を経験。全業種中で抹茶の売上げが瞬く間に全国トップクラスに。
(平成26年)
香月園、Alibaba.comに登録。外からの「風」と、もとから住む「土」が出会い、新たな「風土」が醸成されるという。こうして時を超えて受け継がれた先人の遺伝子は、『日本の抹茶』の世界販売として本格稼働。日本を代表する越境ECとして全国的に紹介されるなど、今や世界50ヵ国以上へと広がっている。
(令和元年)
弊社代表が主宰する『皇居の楠公像を愛でる会(会長 篠原淳史)』は、令和天皇即位の礼に日本を訪れる多くの外国の賓客を気持ちよくお迎えしようと、即位の礼の2日前にあたる10月20日、関係省庁の許可を得て会員30名余りで皇居の楠公像の御身拭い(おみぬぐい)を執り行う。
銅像の故郷である新居浜から夜を徹して皇居まで運んだ青々とした笹の葉で楠公像のお身拭いを行う。
楠公像の周りを囲むように高さ5mの足場をロノ字に組み、台座の隅々まで会員たちの手で洗浄を行なう。
楠公没後に一族の子孫が新居浜に移り住み、新田を切り開き、その新田地区に楠木正成公をお祀りした若宮神社。
※その小さな祠のある場所は、謂わゆる旧住友財閥系の社宅や工場など関連施設に近接している。
楠公の旗印である菊水紋の法被を羽織って担ぐ新田太鼓台
(令和6年)
抹茶の世界ブランド
『JAPANESE SAMURAI 大楠公』の新デザインが完成
(令和7年)
香月園ロゴマークの“JAPANESE SAMURAI”の登録商標を取得
(令和7年)
香月園抹茶のキャッチコピー“Japan is Matcha Land ”の登録商標を取得